続・虫が視る花の色と姿?!
写真集「むしのめ」(2007年発行)
<一通のメール>
コロナ禍で自粛が続く中、異常気象も加わって大雨、洪水のニュースが駆け巡っていた8月初旬に一通のメールが来た。ただ宛先が「Team むしのめ 御中」となっているので私宛ではない。なぜか私のメールアドレスに届いたということである。内容を見ると、「初めてメールします。この夏休みの自由研究で小学校4年生の子供と、蝶がいかにして花の蜜にたどり着くのか、をテーマにしています。蝶には好みの色があることをいくつかの報告から自分も子供も理解していますが、紫外線を反射している雌しべも目印になっているのではないかと推測して実験しています。ついては写真集『むしのめ(虫が視る花の色と姿?!)』を購入したいので購入法を教えてほしい」という依頼であった。
全く存じていないKさんと仰る方からの突然のメールであったが、内容を読んですぐに思い当たった。このウェブサイトを遡ってもらうと、6年前の2015年8月31日に「虫が視る花の色と姿?!」というテーマで、私の高校・大学の同級生であった故F君(2013年にご逝去)の研究成果の一環である写真集「むしのめ」について書いた記事がある。この記事の中で紹介したように、彼は、花の一部が紫外線により蛍光を発していて、その理由は、内部にあるDNAのような大切な遺伝子を紫外線から守るためということと、蛍光現象を感知する能力のある昆虫を呼び寄せて、受粉を容易にするためということの、一石二鳥の戦略をとっている、という仮説を提唱していたのである。
メールをくださったKさんは、お子さんの夏休みの自由研究で、蝶がどのような仕組みで花の蜜にたどり着くのかということを調べているうちに、おそらくF君(「Teamむしのめ」を主宰)の研究や、このウェブサイトを見られたのだろうと推察した。早速お返事を差し上げ、写真集があるかどうかを調べてみた。しかしこの写真集はF君がまだお元気だった2007年の発行なのですでに14年経過しており、残念ながら印刷所での在庫はないことがわかった。そこでF君のご自宅にはまだ残部があるか奥様に伺ったところ、「まだあります。主人は小・中学生の皆さんに虫の目の写真展を見てほしかったので喜んでいると思います。お役に立てるならうれしい限りです」とのお返事があり、すぐにKさんに写真集を送ってくださったのである。
むしの目展の紹介記事(2013年8月13日付朝日新聞夕刊)
F君の研究が、逝去後8年経った今でも、小学生の夏休みの自由研究に役立っているというこのハップニングに、同級生としてちょっぴりうれしい気分になり、F君の仮説の検証実験を行った後継の研究者にもお知らせした。また、6年前に発信した上記のウェブサイトの最後に、「彼の逝去後に、H先生を始めとする後継の研究者の皆さんが、彼の仮説の検証に取り組まれ、研究成果に結びつけようとされていることは、高校と大学でF君と同級だった私にとっては感動的である」と記載したこともあり、F君の仮説の検証結果がどうなったのか追跡してみた。毎夏、遺作写真展「むしの目展」を京都府立植物園で開催されていたH先生は、残念なことに一昨年に他界されたとのことで、H先生の指導を受け実際に論文を執筆されたM博士から関係する情報を教えていただいた。
<F君の仮説>
上記のウェブサイトでも紹介したように、F君は約600種類を超える植物を紫外線ランプの下で観察し、ほとんどの植物が花粉と葯(やく)の一方、もしくは両方から蛍光を発することを明らかにし、インターネットで「虫が視る花?!『虫の目』植物図鑑~紫外線照射写真で見る花の姿と彩~」として可視光線下と紫外線下の花の写真を公開した。F君の逝去後、この植物図鑑は「Teamむしのめ」のメンバーであったT研究者やM博士によりさらにブラッシュアップされて、京都薬科大学薬用植物園のホームページに、むしのめ植物図鑑:Floral Fluorescence Databaseとして掲載されている。F君のプロフィールも見ることが出来る。このように、多くの植物は太陽光に含まれる紫外線にさらされると、花粉や葯(やく)から蛍光を発することがわかったのであるが、その蛍光を発する理由について、F君は2つの機能があるとの仮説を提唱していた。
(1)紫外線から花粉中のDNAを保護する機能 ⇒ 健全に子孫を残すためには、紫外線の害から花粉内のDNAを守る必要があります。その一つの方法として、花粉あるいは葯(やく)の表面で紫外線を吸収しそのエネルギーを利用して蛍光を発し、紫外線の害作用を除去するようになったと考えることができます。
(2)蛍光を視認する昆虫を誘引し受粉を容易にする機能 ⇒ 花には植物が作った蜜がたまっています。昆虫がその蜜を見つけるためには、花粉のありかを見つけることで容易になります。多くの昆虫は花粉を見つけるために、その蛍光現象を利用するようになったことは理にかなっていると考えられます。
<H先生とM博士による仮説の検証>
H先生とM博士はこの仮説を検証するために、花粉や葯に含まれる蛍光物質がどのような物質であるかを突きとめ、さらに突きとめた蛍光物質にミツバチなどの昆虫が実際に誘引されるのかどうか、ということを検証された。上記のウェブサイトで述べたように、2014年8月に第3回むしの目展でH先生にお会いした時に、F君の仮説の検証が実験的には達成できたとのうれしいお話をいただいたのであるが、その後H先生からは、「花粉に含まれる蛍光物質の化学生態学」というM氏の修士論文を送ってくださったのである。M氏はこの論文で修士号をとられ、その後、花粉の蛍光を介した植物と昆虫間のバイオコミュニケーションの研究で博士号をとられている。
このM氏の修士論文が土台となって、2018年5月に、Biocommunication between Plants and Pollinating Insects through Fluorescence of Pollen and Anthers(注:花粉と葯の蛍光を介した植物と花粉媒介昆虫間の生物通信) と名付けられたF君の仮説の検証結果の論文が、Journal of Chemical Ecology という化学生態学の学術雑誌に掲載された。Abstract(要約)には次のように記載されている。
(1)花を咲かせる植物は香り、色、形などの様々な刺激を介して花粉媒介者を呼び寄せるが、本報告では、紫外線照射下で花粉と葯から放出される自家蛍光が、花を訪れる昆虫のもう一つの誘引物質として機能することを示す。
(2)5つの植物種の花粉と葯から抽出した蛍光物質を、ヒドロキシシンナモイル誘導体(注:ヒドロキシ桂皮酸誘導体)と同定した。
(3)蛍光物質は紫外線エネルギーを抑制するとともに抗酸化活性を示す。このことは紫外線によって引き起こされる損傷から、花粉の遺伝子を保護する機能があることを示している。
(4)野外でミツバチを使用した二者択一法の試験では、ミツバチは蛍光化合物から放出される青色の蛍光を感知し、それに引き付けられるという結果を得た。この結果は、花粉と葯からの蛍光が、日光の下で花粉媒介者を引き付ける視覚的な合図として役立つことを示唆している。
H先生とM博士は、この論文の内容を日本農薬学会誌(2019年2月号)で解説されているので、英語では荷が重い当方にはこの方がわかりやすい。この解説によると、調査した5種類の植物は、オニナベナ(マツムシソウ科)、セイヨウマツムシソウ(マツムシソウ科)、モモ(バラ科)、ヘラオオバコ(オオバコ科)、ヤツデ(ウコギ科)で、これらの花粉と葯から6種類の青色蛍光物質が抽出され、いずれもヒドロキシ桂皮酸類であった。青色蛍光物質は花粉粒の表面のポレンコートと呼ばれる細胞外粘液に含まれており、細胞質には蛍光は認められないそうである。つまり蛍光物質は花粉粒の最外層に存在することにより、紫外線を遮断するのに役立っているらしい。
抽出された蛍光物質(ヒドロキシ桂皮酸類)の化学構造
S.Mori,H.Fukui,M.Oishi,M.Sakuma,M.Kawakami,J.tsukioka,K.Goto,N.Hirai;Journal of Chemical Ecology,44,591(2018)
また、太陽光の下で、ミツバチに蛍光物質(2:chlorogenic acid)を吸着させた青色蛍光ろ紙と無処理ろ紙とを示し、どちらに多く訪問するかを調べた二者択一試験の結果、ミツバチは青色蛍光ろ紙の方に多く訪問することがわかった。また、蛍光強度が実際の花粉と葯が発する蛍光の強度に近い時に、青色蛍光ろ紙の優位性が高くなるという結果も得られた。このことから、ミツバチは花粉や葯が発する青色の蛍光を食料(花の蜜)の探索に利用していると推察される。蛍光が昆虫の視覚情報として利用されているという仮説は40年以上前から提唱されていたが、ミツバチが太陽光の下で蛍光を視認し、蛍光に選好性を示すことは、この実験によって初めて明らかになったということである。
ただ蛍光性花粉を持つ植物は虫媒花に限らず、アカマツやメタセコイアのような風媒花でも花粉は青色蛍光を発するという。H先生とM博士は、植物の進化の過程において、花粉に含まれる蛍光物質の原始的な機能は紫外線からのDNA保護であったが、後になって出現した昆虫がそれを利用して蛍光物質に第2の機能が備わったのではないかと推察しておられる。ミツバチを含めた多くの昆虫の色覚は紫外線、青、緑色吸収型の3種類の視物質から構成されており、その可視域は、ヒト(400-700nm)よりも短波長側の300-650nmにあるので、昆虫はヒトとは異なる花の色を視ているということである。
<所感>
たまたま届いた一通のメールが、8年前に亡くなった同級生の研究が、今なお小学生の夏休みの自由研究に役立っているということを教えてくれた。さらに彼が提唱した仮説が後継の研究者により見事に検証され、研究成果に結びついていることも知ることができて、コロナによる自粛生活の憂鬱を吹き飛ばすようなこの夏のハップニングであった。文献の著者欄でわかるように、彼の逝去後、多くの研究者がこの仮説の検証に尽力されたことに改めて敬意を表したい。
蝶がいかにして花の蜜にたどりつくのかという疑問は、多かれ少なかれほとんどの子供がもつだろうし、そういうことに興味を持つ子供にとっては知りたい不思議の一つであることは、昆虫少年であった当方もよくわかる。花の色、香り、形は従来知られていた誘引手段であるが、さらに花粉や葯が発する蛍光が新たな誘引の手段として明らかになったということである。しかもこの誘引手段はもともとは植物が意図していたものではなかった。植物は子孫を残すための遺伝子を、太陽光の紫外線から保護するために花粉や葯に蛍光物資を存在させ、紫外線を蛍光に変換することを意図していた。しかし蝶などの昆虫はこの蛍光を視認することによって花の蜜のありかを知ることに利用するようになった。改めて自然の巧妙な仕組みに驚かざるを得ない。
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