虫が視る花の色と姿?!
<むしのめ写真集>
ここ2,3年の間に、高校や大学の同級生、会社の同期生などの親しかった友人が何人も亡くなった。もう古希を過ぎた年代なので、昔ならいつ亡くなってもおかしくない歳なのだが、日本人男性の平均寿命が80歳になった現在ではまだ早逝であり、残念なことこの上ない。皆それぞれの人生を歩み、それぞれの足跡を残しているわけであるが、中には残した足跡が後継者に引き継がれて、さらに大きく育っているというような羨ましいケースもある。
そういう例として特に思い出に残るのが、京都洛北高校と京都大学農芸化学科の両方で同級だったF君のことである。2013年5月、東京へ出張中に彼の訃報を知り、最終日の予定をキャンセルして京都での告別式に参列した。会場には「虫が視る花の色と姿?! むしのめ」と表題の記された冒頭の写真集が飾ってあった。F君が晩年、趣味も兼ねて精魂を傾けていた紫外線下で撮影した種々の花の写真集で、2007年7月に発行されたものである。
「はじめに」には、「地球上には、太陽からさまざまな光線が降り注いでいます。植物は、その光線を利用して光合成し有機物質を作り、人間をはじめとする動物たちに食べ物を与えてくれます。太陽光線には可視光線だけでなく、遺伝子に損傷を与える紫外線も含まれています。動けない植物は、その紫外線にどのように対処しているのでしょうか。その紫外線を照射して、暗室で花の写真を撮ってみました。写真を見ながら、花の役割や機能を考えてみてください。」とあって、単なる花の写真集ではないことがわかる。
可視光線下と紫外線下で撮影された花の写真を、写真集から少し引用させていただく。可視光線下での写真は通常我々が目にする花の姿であるが、紫外線下で撮影された花は、まるで夜空に浮かぶ花火のように美しく光っており、一見同じ花とは思えないことがわかる。
つまり我々人間が可視光線の下で視ている花を、暗室で紫外線を照射して見ると、花粉や雄しべ、雌しべなどが部分的に光って見え、すごく幻想的な写真が撮れることをF君は見つけたのであった。さらに彼は単なる写真好きではなく、なぜ花が紫外線の下ではこのように見えるのかについて科学的な考察を行い、大変説得性のある仮説を提唱したのであった。その仮説はこの写真集の「おわりに」に述べられている。
<紫外線下で花が光る仮説>
「いろんな花の写真を楽しんで頂けたでしょうか。植物も見る角度を変えると不思議な世界が広がります。なぜこのような姿を見せるのでしょうか?」
「太陽から降り注ぐ光線のうちで、人間の眼に視えない紫外線は遺伝子の本体であるDNAを破壊するエネルギーを持っています。DNAを含んでいる植物の花粉は受粉を容易にするために花びらから飛び出しています。また花びらはパラボラアンテナの形をしており太陽光を花粉のところに集める役割をつとめています。ですから、花粉は紫外線にさらされています。」
「健全に子孫を残すためには、紫外線の害から花粉内のDNAを守る必要があります。その一つの方法として、花粉あるいは葯(やく)の表面で紫外線を吸収しそのエネルギーを利用して蛍光を発し、紫外線の害作用を除去するようになったと考えることができます。」
「また、花には植物が作った蜜がたまっています。昆虫がその蜜を見つけるためには、花粉のありかを見つけることで容易になります。多くの昆虫は花粉を見つけるために、その蛍光現象を利用するようになったことは理にかなっていると考えられます。」
「その能力を利用して、モンシロチョウは、その羽が紫外線を反射するか吸収するかによって、雌雄を見分けているのではないでしょうか。昆虫が視る花の色と姿が写真と同じであるとは言えませんが、人間が視ているものと異なることが容易に想像できます。」
つまり彼は、花の一部が紫外線により蛍光を発していて、その理由は、内部にあるDNAのような大切な遺伝子を紫外線から守るためということと、蛍光現象を感知する能力のある昆虫を呼び寄せて、受粉を容易にするためということの、一石二鳥の戦略であるという仮説を述べている。
<虫が視る花?!「虫の目」植物図鑑>
実は、F君は2007年4月14日の我々のクラス会で、この「虫が視る花の色と姿?!」の話をしたのである。その時、場所を移動しない植物が生き残るために極めて合理的な知恵と、うまい仕組みを持っているという、その仮説の面白さに大変強い印象を受けた。ただF君は、僕はもうリタイヤの身だから、きれいな花の写真を撮ることに専念し、メカニズムの解明は若い人に託すよ、と言っていた。
その言葉通り、F君は紫外線下でのこのような幻想的な花の写真に魅入られ、京都薬科大学附属薬用植物園の協力の下に次々と色々な花の写真を撮影し、京都や大阪で何度か虫の目写真展を開催された。私も写真好きの友人や高校・大学の同級生、および所属する日本繊維技術士センターの会員にも知らせて、彼の貴重な作品展を見に行った。
そして彼は、ついに600種を超える花について、それぞれ可視光線下と紫外線下での花の色と姿を比較できる写真を、インターネットのホームページに公開したのである。彼はそれを、【虫が視る花?!「虫の目」植物図鑑~ 紫外線照射写真で見る花の姿と彩 ~】と名付けて、世界に一つしかないユニークな植物図鑑としても使用出来るようにした。
このホームページは2013(平成25)年3月9日の更新で終わっている。F君が5月に逝去されたからである。彼の逝去から2年余り経った現在も、このホームページはちゃんと開設されていて、花の植物図鑑として立派に機能している。一見するとわかるように、F君の斬新なアイデアと優れた写真技術が盛り込まれた素晴らしいホームページである。彼が2年前に書いたお知らせはそのまま残っている。
「当ホームページの構築は3月9日の更新でほぼ完成しましたが、今後さらに写真を整理して追加・更新していく予定です。平成25年3月9日現在、アーティチョークからワルナスビまで アイウエオ順に六百種余りの花の写真 (可視光線と紫外線を別々に照射して撮影) を掲載しています。現在、第59ページまで作成しました。1ページには十~十数種の花の写真を載せています。【植物名索引】あるいは【写真第1ページ】のボタンをクリックしてみてください。」
<遺作写真展>
2013年8月に、F君がこれまで撮影した数々の花の写真を展示する遺作写真展(第2回むしのめ展)が、京都府立植物園で開催された。農芸化学の同級生数人と一緒に伺ったところ、この遺作展開催に尽力された京都大学農学研究科のH先生から、蛍光物質が見つかり化学構造もほぼ同定出来たというお話を伺い、良かったなあ、という気持とともに、F君の着眼の凄さに改めて感心した。
さらに2014年8月にも、第3回むしのめ展が京都府立植物園で開催された。この時の遺作展では、京都大学生態学研究センターのT先生が、「葉っぱのかおりの生態学から見る生き物ネットワーク」という特別講演をされた。会場でF君の奥様とH先生にもお会いすることができ、H先生からはF君の仮説の検証が実験的には達成出来たとの嬉しいお話を伺った。
2013年8月18日むしの目展 2014年8月17日むしの目展
<所 感>
日本では、四季を通じて何らかの花が咲いていて、季節感を得ることができるし、花の美しさに感動することが出来る。しかも多年生の植物は毎年同じ時期に開花し、我々人間を楽しませてくれる。しかし、一見何事もなく咲いている花の裏面では、場所を移動しない植物が生き残るために巧みな知恵や仕組みを働かせていることに驚かざるを得ない。
私などは、きれいな花や面白い形の花を見ると、デジカメで撮影してFacebookに投稿するくらいが関の山であるが、F君は、紫外線を照射して花の写真を撮ることによって、花の美しさの裏に隠れた、知られざる幻想的なもう一つの花の世界があることを、我々に知らせてくれた。さらにその学術的な意味についても、これまでだれも思いつかなかった大変説得性のある仮説を提唱した。
彼の逝去後に、H先生を始めとする後継の研究者の皆さんが、彼の仮説の検証に取り組まれ、研究成果に結びつけようとされていることは、高校と大学でF君と同級だった私にとっては感動的である。
The comments to this entry are closed.
Comments