« 日本初の女性絵本作家(居初つな)は堅田の湖族? | Main | 新島 襄と勝 海舟 »

2013.04.30

国産ジーンズ発祥の地-せんいのまち児島

Setoohashi_2
       夕暮れの児島湾と瀬戸大橋(岡山県倉敷市 せとうち児島ホテルから)

<児島で研究会議>
2012年9月2日~3日に岡山県の倉敷・鷲羽山にあるせとうち児島ホテルで、JSTさきがけ「生命現象の革新モデルと展開」研究領域の研究会議が開かれた。会場からは冒頭写真に掲げたように、眼下に瀬戸内海児島湾にかかる瀬戸大橋を望むことができるので、その美しい光景に長時間の会議の疲れも癒されたことであった。

鷲羽山には、京都の小学校時代に修学旅行で来た記憶があるから、昭和28(1953)年のことと思われるので59年ぶりということになる。児島地域の年表を見ると、1953年は町村合併による児島市となって5年目なので、当時は児島市であったらしい。その14年後の1967年には市町村合併により倉敷市となり、現在は倉敷市児島である。

<せんいの町 児島>
児島は、今は本四連絡橋のうちの児島-坂出ルートの本州側の起点であり瀬戸大橋が有名になってしまったが、古くから海運業、製塩業、繊維業が栄えた地域である。干拓により本州と陸続きになった近世初頭まではその名の通り島であったらしい。現在も、学生服、ユニフォーム、ジーンズ等の繊維産業が盛んで、児島駅構内には「ようこそ夕日とせんいのまち児島へ」というブースもあり、今回は行かなかったが駅近くに倉敷ファッションセンターもある。

Seninomachi2
          JR児島駅構内のブース

鷲羽山での研究会議は生命科学がテーマであったが、私自身は繊維会社の出身であり、今でも繊維技術とは関係が深いので、鷲羽山に行く前に「せんいのまち」を標榜する児島の町を少し巡ってみることにした。

倉敷市は、クラレ(倉敷レイヨン)やクラボウ(倉敷紡績)に代表される大手繊維産業が生まれた地域としても有名であるが、もともと繊維産業の裾野は広く、児島ではジーンズ(国産発祥)、学生服(全国の7割)、帆布(全国の7割)、畳縁(全国の8割)、特殊織物(奇跡の藍染、4軸織物が有名)、ワーキングウェア(建設土木・官公庁の現業部門向け)などが主要な繊維産業となっている。

JR児島駅周辺の歩道を歩くと、絵表示の入ったカラータイルが歩道にはめ込んであって目を楽しませてくれるが、鯛や蛸などの瀬戸内海の名産物の絵表示に混じって、繊維産業に関係する絵表示のタイルもはめ込んであるので面白い。国内では繊維は斜陽産業といわれる中で、児島は「せんいのまち」を打ち出して頑張っており、春と秋には繊維祭りを開催している。

Gakuseifukuori
            学生服              織(なかなか専門的な絵表示)
Bosekikojyo
                  紡績工場の絵表示と私の靴

<児島は国産ジーンズ発祥の町>
児島の案内図には、国産ジーンズ発祥の地、ジーンズミュージアム、児島ジーンズストリートなど、ジーンズに関係するキーワードが並んでおり、ジーンズが観光の目玉になっている珍しい町である。児島ジーンズバス1日乗車券というのも発売されている。

このバスに乗ると、ジーンズストリートやジーンズミュージアムなどを見たり、フルオーダーの可能なジーンズショップに行けたりするので、世界に一つしかない貴方だけの夢のジーンズを入手することが可能ということになる。ちなみにフルオーダーは7万円、セミオーダーで3〜4万円とパンフレットに記載されている。

しかし鷲羽山へ向かうまでの限られた時間しかないので、あまりゆっくりは出来ない。まずはジーンズミュージアムに行ってジーンズの知識を得て後、児島ジーンズストリートをぶらぶら歩いて児島駅に戻ることにした。

<ベティスミス・ジーンズミュージアムとジーンズの歴史>
ジーンズミューシアムは児島駅から少し離れた下之町というところにあるので、とりあえずタクシーで行った。ベティスミスという老舗の中にあるので正式にはベティスミス・ジーンズミュージアムというらしい。何となく西部劇を彷彿させるような2階建ての建物である。

Museum
 ベティスミス・ジーンズミュージアム            入り口

中へ入ると1階にも2階にも所狭しとミシン、加工機械、ジーンズ、デニム布、部品などが並べてある。置いてあった店のパンフレットを見ると、アウトレットショップや体験工場も併設している。また倉敷オーダージーンズというお誂えのジーンズを作ることができる。受付の女性にオーダーは多いですかと聞いたら、ジーンズには結構拘る人がいて全国から依頼があるとのことで、根強い人気があるようだった。

アンティークミシンや、リベット(金属鋲)、フラッシャー(お尻に付けるラベル)などの付属品も歴史的な物が多数展示してあり、縫製の専門家が見たら色々参考になるだろうと思った。こちらは縫製の知識はあまりないので、児島が国産ジーンズの発祥の地ということから、ジーンズの歴史年表パネルに見入ってしまった。Levi's、Lee、Wranglerの3大ブランドの歴史がわかる。

 1829 ジーンズの生みの親リーヴァイ・ストラウスがドイツのバイエルン地方で誕生。
 1847 米国サンフランシスコに移住。
 1860 リーヴァイ・ストラウス(Levi Straus)社を設立。
 1873 デニム作業ズボンのポケットをリベットで強化する特許を取得。最初のジーンズを製造。 
 1878 ドイツで合成インディゴ誕生。合成インディゴ染色のデニムがジーンズの主流となる。
 1889 ヘンリー・デビット・リーがLee社をカンザスに設立。
 1904 C.C.ハドソンがラングラーの母体となるオーバーオール会社設立。
 1936 ブルーベル・オーバーオール会社設立(世界最大のワークウェア製造会社)。
 1947 ブルーベル社からラングラー(Wrangler)がジーンズブランドとしてデビュー。
 1955 ジェームズ・ディーンの「理由なき反抗」で作業スボンからファッション素材へ。
 1965 児島のマルオ被服が国産最初のジーンズ発表。
 
国産最初のジーンズを作ったというマルオ被服がどんな会社だったのかネットで検索してみたら、BIG JOHNの歴史というウェブサイトが出て来て、BIG JOHNの前身がマルオ被服であることが分かった。

<国産ジーンズの誕生>
BIG JOHNのウェブサイトによれば、1963年に輸入自由化がスタートしたので、マルオ被服は1964年秋に通産省の岡田氏に接触し、箱根から西はマルオ被服が生産販売権を持つという契約を大石貿易と交わした。翌年1965年2月にデニム生地が米国キャントンミルズ社から児島に届き、4月に国産ジーンズ第1号が、CANTON ブランド(マルオ被服製)で児島で生まれた、とある。

最初は大石貿易のCANTONブランドの下請けだったマルオ被服が、1967年に自社ブランドのBIG JHONであっという間に大成功したのを見て、我も我もとファクトリーブランドが児島地区で立ち上がり児島はデニムの生産基地に変貌した。

これに懲りた大石貿易は、秋田・宮城など東北地区を中心に自社工場を建設し生産していたが、1970年代中盤以降、売上が激減して在庫処分のために大量に投げ売りされたため、すっかり安物のイメージがついてまわり、ついには倒産してしまったという。児島地区の技術水準が高かったのかもしれない。

ただ、東京産の国産ブランドとして現在もよく知られているEDWINのウェブサイト、エドウインの歴史には、前身の常見米八商店がデニム生地を輸入して1961年に国内縫製を開始したことが記載されているので、何をもって国産初というのかについては知識がない。BIG JOHNのウェブサイトでも国内産のデニム生地を使用した純国産第1号が完成したのは1973年のこととしている。

<児島ジーンズストリート>
児島ジーンズストリートは児島駅からそれほど遠くない味野地区にある。ジーンズミュージアムからタクシーで旧野崎家住宅の近くまで行ってもらい、そこからジーンズストリートに入った。旧野崎家住宅は江戸時代に塩田王と呼ばれた野崎武佐衛門が建てた屋敷とのことであるが今回は寄らなかった。

児島駅から歩いてくると、児島ジーンズストリートの洒落た案内板が街角にかかっているのだが、今回は逆方向から歩いたことになる。両側にジーンズショップが立ち並び若者がうろうろしている情景を想像していたのだが、土曜日の午後だったにもかかわらず通りは閑散としていたので少し気になった。

Street
         児島ジーンズストリート(土曜日なのに閑散としていた。)

しかも開店している店が少ないので休日なのかなとも思ったが、何軒かは開いていたのでそうでもないようであった。ジーンズの世界にも不況の波が押し寄せているのだろうかと気になったが、それはともかくジーンズストリートを歩いて行くと面白い光景があった。道路の上に綱が張られ、ジーンズがぶら下げてあったのである。

最初は、え!道路の上に洗濯したGパンを干している横着な人がいる、と思ったのだが、なるほどここはジーンズストリートなので、ジーンズの宣伝なのだと気がついた。しかしレディスのジーンズならともかく、メンズのジーンズの下は通りたくないな、と思う人がいるかもしれない、などと考えると内心おかしくなった。

Jeans
       案内板               道路に吊るされたジーンズ!

昨年9月の児島の探訪は以上のようなことであったが、せんいのまち児島の景気はその後どうなっているのだろうと気になっていた。今年になって、このウェブログを書くにあたって児島のウェブサイトをいくつか見ていたら、児島商工会議所のホームページに、つい先週末の4月27日と28日にせんいのまち児島フェスティバルが開催されるというお知らせが出ていた。

さらに、今年3月18日に「児島ジンーズストリート」公式ホームページが完成し公開されていることも分かった。あらためて児島ジーンズストリートが紹介されている。

「児島地区は、明治時代から<繊維の町>として知られていますが、ジーンズに関しては1960年代に国内で最初にジーンズ生産を手掛けたことでも有名です。この<児島ジーンズストリート>は、地元メーカーや児島商工会議所等による協議会が味野商店街の空き店舗への誘致活動として行っております。<児島ジーンズストリート>と名付けられたその通りは、かつて児島で最も栄えた味野商店街の中にあり、旧野﨑家住宅前から味野第2公園までの400メートル程のストリートとなっています。」

ということは児島がまだ繊維のまちとして頑張っているということである。ならば繊維技術に携わるものとして、その活気をこの目で見に行きたいと思ったのだが、4月27、28日は今年のゴールデンウィークの前半の真っ最中であり、中国道や山陽道が混雑することが目に見えていたので現地訪問は諦めた。しかしその様子は知りたかったので、現地の新聞のウェブニュースを検索してみた。

<せんいのまち児島フェスティバル>
Kojimafestival_32013年4月27日付山陽新聞WebNewsは、児島でせんいのまちフェス開幕 格安衣料求め買い物客という表題で、早速この模様を報道している。

「ジーンズ、カジュアル衣料などの繊維製品を販売する「せんいのまち児島フェスティバル」(倉敷市、児島商工会議所、山陽新聞社などでつくる実行委主催)が27日、倉敷市児島地区の中心部一帯で始まり、大勢の買い物客でにぎわっている。28日まで。」

「JR児島駅前、朝市・三白市会場(同市児島駅前)、児島ジーンズストリート(同市児島味野)の3カ所を結んだエリアに、衣料品や雑貨などを販売する約90のテントが並んだ。児島市民交流センター(同)では、全国のジーンズ、アパレルメーカーによる販売ブースを集めた「稲妻デニムフェス児島」が開かれ、レアアイテムや格安品を求めるファンらが詰め掛けた。」

「三白市会場には、たこ飯、タコの空揚げといった特産品を販売する約50店が並んだほか、ステージでは、とこはい下津井節の演舞やコスプレイベントが祭りムードを演出した。」

「28日は午前9時から午後5時まで。実行委は公共交通機関の利用を呼び掛けている。」

願わくは日本の繊維産業活性化のために、児島が今後もせんいのまちとして発展して欲しいものである。

|

« 日本初の女性絵本作家(居初つな)は堅田の湖族? | Main | 新島 襄と勝 海舟 »

Comments

The comments to this entry are closed.