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2004.05.02

小山評定

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          徳川家康が小山評定を開いたとされる小山市役所横の丘

<小山評定>
広辞苑によれば、「評定」とは評議して決めること、とあり、結論の出る会議のことをいうようである。歴史上に出てくる評定の中では、「小田原評定」と「小山評定」が有名である。両者は全く正反対の評定であった。「小田原評定」は、無意味な議論ばかりして結論の出なかった評定として有名であり、「小山評定」は、徳川家康が練りに練って仕切り、日本の歴史を変えた評定として有名である。

2003年の6月から、栃木県小山市の会社にお世話になり、月一回小山を訪問することになった。合間を縫って、小山評定ゆかりの地を訪れてみた。新幹線小山駅西口からさして遠くない所に、小山市役所がある。その横に少し広い丘があり、ここが小山評定の開かれた地とされる。

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      小山市役所前の説明版                評定場所付近?

1600年に、会津の上杉景勝討伐に向かった徳川家康は、小山で石田三成挙兵の報を受け、軍議を開いた。この軍議を小山評定といい、家康は、従軍した福島正則らの豊臣恩顧の諸将の協力をとりつけて、後日の関が原合戦勝利の布石を打った。豊臣政権から徳川政権へ歴史の流れを変えた評定という訳である。

この故事にちなみ、二代将軍徳川秀忠がこの地に小山御殿を建て、1622年~1682年の60年間、将軍家の日光東照宮参拝時の休憩所とした。もちろん今は御殿の面影もないが、このあたりは御殿町と呼ばれているとのことである。

<藤原秀郷が繋ぐ滋賀県と栃木県のムカデ伝説>
小山は、藤原秀郷の末裔、四郎政光が平安末期に城を構え、小山氏を名乗ったことに始まるとされる。滋賀県三上山(近江富士)の大ムカデを退治した伝説で有名な俵藤太は、藤原秀郷のことで、10世紀前半に下野(栃木県)を根城として活躍した武士であったことは、「近江富士」編で触れた。

  • 近江富士
  • 「大ムカデ伝説は栃木県にも存在するのです。」と小山の会社の人に聞いて、滋賀県-ムカデ-藤原秀郷-栃木県-ムカデという縁が繋がっていることに驚いた。つまり栃木県では、ムカデは、日光戦場ヶ原の地名の由来と関係するのである。京都育ちの私は、戦場ヶ原と聞くと、関が原と似たような古戦場である、とずっと思い込んで来たが、実際の戦争がここで行われたのではなかった。

    戦場ヶ原の地名の由来は、日光男体山のオロチ(大蛇)と、赤城山の大ムカデが、ここで戦ったという伝説によるのである。赤城の神をムカデとする伝説の根拠として、ムカデが鉱山の神であることから、赤城もかっては鉱山だったからとする説があるらしい。そういえば滋賀県の三上山も、山裾に金工鍛冶神を祭神とする三上神社があり、鉱山であったので、この説では赤城山と共通点がある。

    これに対し赤城山の東南山麓に、藤原秀郷の子孫が荘園を経営していた時代があるので、三上山の大ムカデを退治したという、秀郷伝説を取り込んだとする説もあるそうである。いずれにしろ、小山や栃木一帯は藤原秀郷の地みたいなものであった。

    <藤原秀郷を顕彰する須賀神社>
    小山市役所から少し歩くと、国道4号線沿いに須賀神社がある。ここに藤原秀郷公顕彰碑が建っている。すなわちこの神社は、平将門を討った藤原秀郷が、940年に京都祇園社(八坂神社)から分霊を勧請して祭ったのが最初とされる。このため祇園社とも呼ばれる。後に小山政光が小山城の鎮守としたので、小山城も祇園城と呼ばれた。

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      須賀神社藤原秀郷公顕彰碑

    徳川家康は、この境内において小山評定を開き、関が原での戦勝祈願をした。のち祈願成就により社領を寄進している。参道は、旧国道4号線からコミュニティ道路として始まり、国道4号線を跨ぐ太鼓橋風の歩道橋になって、神社境内に入る。

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         須賀神社参道                  須賀神社本殿

    <小山城址-城山公園>
    小山市観光協会のパンフレットによると、小山城は代々小山氏の居城として重要な城であったが、豊臣秀吉の小田原攻めの際、後北条側についたため、秀吉側についた結城氏に攻略された。江戸時代初期には本多正純が入城したが、1619年に正純が宇都宮に移ったため、廃城となった、とある。小山城のあった辺りは、1956年(昭和31年)に城山公園として開設され、祇園城址という説明版が立っている。

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           祇園城址の説明版                   城山公園入口

    園内には、市指定文化財で天然記念物の公孫樹(大イチョウ)がある。謂れについては知識がないが、須賀神社の社宝の中に、朱神輿、蓬莱鏡、月宮鑑、牛頭天皇額、徳川家康朱印状とともに公孫樹が挙がっているので、須賀神社と関係があるのだろう。

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                          城山公園内の公孫樹

    <小山の町>
    小山市は人口15万人の中型都市である。関東平野のど真ん中に位置するため、周囲に山がない。京都や滋賀の風景を見慣れた我が目には、周囲に山がないことが何となく異様に映る。町を歩いていると、所々に由緒ありげな古い建て方の家屋が見られた。

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                小山駅近くの町並み


    市役所の近辺を歩いていると、「男女共同参画宣言都市“おやま”」というキャンペーン幕が目についた。あまり見かけるキャンペーンではないので、小山市にはジェンダー・フリー運動に熱心な議員がいるのだろうかと思った。

    (解説)ジェンダー
    人は生まれた時から「男らしさ」や「女らしさ」例えば、男は仕事、強い、責任感がある、女は家事、育児、やさしい、こまやかという区別の中で育てられ、無意識のうちに社会が求める性役割を身につけて行きます。こうした社会的文化的につくられた性差をジェンダーと言います。

    このような男女の固定的な考え方や見方にとらわれず、自分らしく生きることをジェンダー・フリーといいます。

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