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2004.04.03

布地の味-風合い-

<なぜ日本女性は海外ブランド衣料を買うのか?>
繊維の世界にいると、消費者が衣服を買う場合、何が決定的な要因になるのだろう、と良く議論になる。近年、ファーストリテイリング(ユニクロ)が超有名になり、一時期は入場するのに車の渋滞が起こるほどであった。ということは、価格は決定的な要因の一つであることは間違いない。

然らば安ければよいのか、ということになると、そうではないと、ユニクロを含めた繊維関係者は思っている。衣服は嗜好品と良く似ており、消費者が期待している品質があって、かつそれに見合うと思えるよりは価格が安い場合に、初めて買うという行動に移るのであろう。

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上の表のように、繊維市場は、安物の市場ももちろん大きいが、付加価値の高いものも結構売れる市場なのである。この衣服の付加価値という言葉は曖昧である。いわゆるファッション製品では、一見して判断できる、デザインとか色などの外観的な要素とともに、触って分かる布地の性質が、品質の重要な要因になると思われる。

ところが、この市場は欧米の有名デザイナーのブランド品に席巻されていて、メイドインジャパンの出番が少ないのが残念なところである。日本の衣服にも品質の素晴らしいものが多いと思うのに、多くの日本女性は、海外の有名ブランド品を買ってしまうのは何故だろうか。
            
<布地の味とは?>
名刀の切れ味、かみそりの剃り味、ハンドルの切れ味などと並んで、焼物の味、布地の味といった、人間の感性に訴える「味」という表現を、我々日本人は良く使う。海外ブランド品が日本女性に買われるというのは、この布地の味が、魅力的なのかもしれない。

布地の味とは何をいうのだろうか。辞書を引くと「味」にはうまみ、面白み、趣といった意味がある。そういえば愛用のオーバーに味を感じることがある。確かに自分の身体によく馴染んだ衣服は捨てるに捨てられない趣を感じるものである。お馴染みのスヌーピーの漫画で、ライナス(記憶違いかも知れないが)という男の子が自分の気に入ったマフラーをいつも持ち歩き、片時も離さないという場面があった。彼のマフラーもきっと味があるに違いない。

布地の世界では、このような得も言われぬ味のことを「風合い」と呼んでいる。愛用のオーバーもライナスのマフラーも、使っている人が風合いが良いと感じているのである。では、風合いの正体は何なのだろうか。風合いの「風」は風味とか風情などの「風」と同じ使い方であるが、この「風」を辞書で引くと、趣とか味わいのある様子とある。もともと風と味とは同じ意味があって「風合い」は「味わい」に通じるらしい。両方とも人間の感覚で感じる心理現象であり、科学的にはなかなか解明しにくい問題である。

<布地の味と食べ物の味はどう違うのか?>
「ぬめり」、「しゃり」、「こし」、「はり」、「ふくらみ」は、布地の基本風合いを示す表現で、京都大学の川端季雄先生をヘッドとする日本繊維機械学会の風合い計量と規格化研究委員会で定義されたものである。風合いというと我々素人は、すぐに「ソフト」とか「しなやか」といった表現を思い浮かべるが、これらは専門的には基本風合いではなく、基本風合いの合わさったものと考えられている。

風合いは手触りによる感覚(触覚)を指すのであるが、一つの感覚を指すのではなく、上記にあげられたいくつもの感覚を指す。風合いが良いといっても、何の特性を良いと判断しているのかは簡単ではない。この辺は食べ物の味が美味しさという一つの感覚で判断できるのに比べて、風合い判断の複雑な点である。

食べ物に対する味覚は、多少の個人差はあるものの共通した感覚なので、味の良し悪しはわりと客観的に判断できる。社会常識としても、パリの星のたくさんついたレストランや吉兆の料理、あるいは新鮮な料理をまずいと感じることは異常とされる。しかし味覚は人により好き嫌いがあること、また体調や雰囲気のような環境条件によって大きく変わることもよく経験することであり、多分に心理的要素が関係することも間違いない。このあたりは味の科学的解明の上で難しいところであろう。

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(繊維の知識 国際出版研究所から)

<風合いの本質は何だろう?>
風合いの場合も、人により好き嫌いがある点や気候や気分などの環境条件により、感覚が左右される点は味覚と同じであるが、基本的に一つの感覚で判断出来ないところがわかりにくい点である。風合いの場合は、手触りによる布地の刺激を脳に伝えて、感覚(触覚)を引き出す。すなわち手触りによる布地の形態や物性という刺激に対して、風合いという心理現象が引き起こされる。

この手触りという動作が実は曲者なのである。手で触るという動作は単純ではなく、布地に対し撫でる、掴む、握る、摘む、引っ張る、押し付ける、挟む、等のいろんな動作が含まれ、手といっても指先もあり掌もある。しかもこれらの動作によって感じている特性は同じではない。かたさや柔らかさだけでなく、なめらかさ、のびやすさ、暖かみ、戻り易さ、跳ね返り性、強さ、などのいくつかの性質を一度に感じて、総合的感覚として風合いを認識しているのである。このため風合いは、味に対する美味しさのような一つの特性では言い表せない。

しかしこの手触りという動作は、実は布地の色々な力学的特性を測定しているとも言えるのである。その力学的特性を分離して評価することが出来れば、風合い感覚の定量的把握と、布地の風合い制御が可能になり、お客の好む風合い設計が可能になる。

前述の風合い計量と規格化研究委員会では、引っ張り、曲げ、剪断、圧縮、表面(摩擦、粗さ)、厚さ・重さの6つの特性で風合い感覚を定量化する、KESと呼ばれる評価方法を考案し、力学量と風合い間の変換式を得、例えば、風合いの定量判定や、絹と木綿の風合い特性の違いの定量判別などを可能にしている。このように複雑な風合いも、かなり定量的に扱えるようになってきている。

<風合いは触覚だけか?>
さらに風合いでは、仕立てやすいとか身体にフィットしやすいとかの、衣服材料に適合出来るかという性能面も重視される。柔らかいだけでは縫えないし、着てもすぐに型崩れする。こしとかはりはこの面からも必要な風合いである。食べ物の味では、栄養があるとか消化が良いとかの性能面は無関係であり、この点では相違する。

風合いの定義に視覚的要素は入るのだろうか。布や衣服を購入する時は、確かに手触りによる判断は大きな要素であるが、むしろ視覚による判断も大きい。実際、布地の表面状態、光沢さらには色合いや、衣服の場合はデザインといった要素が重要な判断基準になっている。風合いに個人の嗜好で左右されやすい色合いやデザイン感覚まで含めることは適当でないと思われるが、表面状態、光沢といった布地の本質に対する視覚的要素は、手触りを主体とする評価と切り離せないので、一般的には風合いの中に含まれるようである。

<風合いの感受性は民族で異なる?>
風合いに対する感受性は民族性によっても差があると思われる。わが国では、合成繊維の高度な加工技術により、ふくらみやしゃり感のある「新合繊」と呼ばれるような、高付加価値繊維が発達してきたが、欧米では高付加価値繊維はそれほど発達していない。この理由としてわび、さびのような微妙な感覚を大事にしてきたわが民族は、風合いに対する感受性が高く、新しい風合い感覚の布地に対するニーズが、欧米民族より強いためではないかと推測している。

“エクセーヌ”という東レの人工スエードが、発売後34年目に入っているが、衣料用途では、わが国では薄くて柔らかい、いわばぬめりとふくらみに富むタイプが好まれていたのに対し、海外(特に米、独)では軽いがしっかりした風合いの、いわばこしとはりのあるタイプが求められることが多かった。ここにも風合いに対する民族的な感受性の差が見られる。

実際のところ感覚がモノをいう心理的要素の強い世界であり、科学的に十分解明されていない分野であるが、日本の衣服も、日本の女性にどんどん買って貰えるような「味」を持たねばならないのであろう。

日本には和服文化という、それこそ「味」が重要な要素を占める衣服文化がある。子供の頃に和服の文化を学んだ日本人デザイナーが、世界のファッション界に斬新なデザインを提供して活躍している。子供の頃に日本文化の良さをもっと体感することが、衣服の提供者にとっても、消費者にとっても良いことではなかろうか。

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         (繊維の知識 国際出版研究所から)                             

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