近江富士
富士山が好きである。新幹線で東京出張の時、運良く日のある時間に乗れ、運良くE席がとれ、運良く晴れていて、運良く雲が富士を覆わない、そのような幸運が重なって富士山に出くわした時は、同じ料金を払っても、非常に得をした幸せな気分になる。
「頭を雲の上に出し・・・・・・富士は日本一の山」、という唱歌があったが、そういう時は必ずこの歌が浮かんでくる。滋賀県に住んでいるので、残念ながら普段は見ることが出来ない。ところが良くしたもので、滋賀県にも富士がある。「近江富士」である。
<三上山と三上神社(御上神社)>
近江富士は正確には三上山であり、俵藤太秀郷が、この山を七巻き半した大ムカデを退治した伝説で知られる。従って通称百足山とも呼ばれるそうである。実際は高さ432mの丘みたいな山だから、さして時間をかけずに登れる。中学生の頃、京都から登りに行った記憶がある。
三上山は滋賀県野洲郡野洲町三上にある。本物の富士山と同様、新幹線からも良く見えるし、国道8号線で守山を過ぎて、野洲川の橋にかかると、川越しの真正面に三上山が見える。野洲川を渡ると、左手に中国塗料の工場があり、続いて三上神社がある。鳥居には御上神社とある。
鳥居をくぐって神社の境内に入ると、鬱蒼と茂る杉の大木に囲まれた静寂な環境となり、直ぐ横を国道が走っているとは信じ難いほどである。三上神社は、古来御上神社、三上大明神社と称し、天照大神の孫の天之御影神を祭神とする。国道を挟んだ反対側にそびえる三上山が神体山である。
境内はそれほど広くなく、国宝の本殿と、重文の楼門および拝殿があり、いずれも鎌倉時代の建立だが、遡れば、奈良時代初期に、藤原不比等が勅命により、現在地に榧の木で本宮を造営したとのことである。
<俵藤太>
日本史辞典を紐解くと、10世紀前半の藤原秀郷のところに、「俵藤太と呼ばれ、近江国三上山で、むかでを退治した伝説は有名」とある。しかし藤原秀郷は下野(現在の栃木県)を根城とした武士で、940年の平将門の乱で将門を討ち、下野守に任ぜられた人物である。
佐野氏、足利氏、小山氏、結城氏といった下野の豪族や、奥州藤原氏は、藤原秀郷の血を継ぐといわれているので、彼が本当に近江でムカデ退治をしたのかは不明だそうである。滋賀県では、三井の晩鐘で有名な三井寺に、俵藤太が寄進したとされる鐘がある。後に弁慶が引きずったので、「弁慶の引き摺り鐘」と呼ばれている。
「俵藤太物語」という御伽草子があり、俵藤太がムカデを退治したお礼に、依頼主の竜王から鐘や鎧を贈られたとあるらしい。この鐘を園城寺(三井寺)に寄進したとの伝説になっているが、栃木県佐野市の唐沢山神社には、「避来矢の鎧」という重文があり、この鎧が藤太が竜王から贈られた鎧だとされているらしい。現在、私は栃木の小山に毎月行っているので、折を見て佐野市の唐沢山神社の鎧を見に行こう、などと思っている。
藤原秀郷とムカデ伝説が繋ぐ滋賀県と栃木県の縁については、この後のウェブログ「小山評定」で触れた。
そういえば滋賀県では、野洲の東隣は竜王という地名になっている。俵藤太へムカデ退治を依頼した竜王と関係あるのかどうかは、当方に知識がない。因みに、全国の竜(龍)の名のつく市町村で、ドラゴンサミットという交流組織があるとのことである。
<湖周道路からの近江富士>
湖周道路沿いの滋賀県草津市最北端が、烏丸半島という公園になっており、琵琶湖博物館や草津市立水生植物園がある。水生植物園の前面の湖面が、蓮の群生地になっており、7月から8月にかけて湖面が蓮の花で覆われることで有名である。蓮は早朝に開花するということを聞き、2002年7月14日の早朝に出かけた。
未だ薄暗い滋賀県草津市の湖周道路を、烏丸半島を目指して走っていると、思いもかけず、朝靄の中に近江富士が右手に見えて来た。車を停めて暫し眺めていると、未だ日の昇る前の幻想的な雰囲気の近江富士が見られた。直ぐに明るくなり、畑の緑が浮かび上がってきて、また違う雰囲気の近江富士になった。
野洲川交差点や御上神社から望む三上山は、距離が近いので山という感じがするが、琵琶湖の湖周道路から望む三上山は、いかにも「近江富士」という雰囲気を醸し出す。昔の人が三上山のことを、「近江富士」と呼んだ最初は、おそらく琵琶湖畔からの姿を見た時ではなかったかと想像する。
湖周道路から望む夜明けの近江富士
<蓮の群生地からの近江富士>
烏丸半島に到着し、水生植物園の横から蓮の群生地に向かうと、日の出前というのにかなりの数の物好きが来ていた。蓮の開花の時はポンと音がするという説もあるので、それを聴きに来ている人々だろうか。私も耳を澄ませて聴いてみたが、色々な音はするものの自信はなかった。
後日、ある会合で、蓮の開花音がするというのは確たる証拠はない、との話を聞いた。いつか蓮の権威に聞こうと思うが、未だ実現せず、確認出来ないままになっている。
ともあれ本題は近江富士であるから、蓮の群生地から望める、近江富士の色々な表情を撮ってみた。ミニコニーデ型のその姿は、何となく「富士」という名前にふさわしい表情をしているではないか。
琵琶湖烏丸半島の蓮群生地から望む近江富士
蓮の花と近江富士
「富士」という形容がぴったり
<早起きは三文の得>
もともと朝型なので早く起きるのは苦にならないが、受験勉強や切羽詰った仕事の処理にしか活用していなかった。このとき初めて早起きして、蓮の開花や、夜明け前の近江富士を見ることが出来て、「早起きは三文の得」を実感した。素晴らしい琵琶湖のご来光も拝めた。
<カルガモ>
この烏丸半島の蓮の群生地には何度か訪れており、未だ蓮の開花には早い2001年6月24日には、ここでカルガモの親子が並んで泳いでいる、微笑ましい光景を見た。10羽の子沢山に恵まれた親鳥(母親であろう)が、見事な統制力で子どもたちを引き連れて行くのを見て、暫し見とれていた。
カルガモ親子(父親は何処?) 整列して泳ぐ10羽の子ども達
最近、昔はあまり聞かなかった子どもへの虐待が、次々とニュースで伝わってくるが、このカルガモ親子を見て欲しいものである。
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