安土散策
幻の安土城
(安土町役場ホームページから)
「歴史上の人物で、もっと長生きしてくれたら日本のために良かったのにと思われる人は?」と問われると、かなりの人が織田信長と坂本竜馬を挙げるにちがいない。私も、特に織田信長は為政者であって革新思想に富み、軍事、経済、文化、国際化の全てに渡って当時の日本人の常識を越え、今で言うグローバルな考え方をしていた人物と思われるだけに、惜しかったなあと思う1人である。
滋賀県蒲生郡安土町は織田信長が天下統一の拠点に選んだ地なので、ここも滋賀県に居を構えたからには関心ある場所である。20年ほど前に安土城址から観音寺城址をハイキングしたことはあったが、安土の町中は行ったことがなかったので2003年11月に再訪してみた。
JR安土駅は新快速も停車しない小さな駅であるが、駅南広場に城郭資料館があり、冒頭図のような八角形の天主をした安土城の1/20復元模型が展示してある。安土城は有名な割には残された正確な資料に乏しく、漸く近年になってその全貌の解明が進捗中で、少し前のNHKの報道でもやっていたようにCGによる復元調査や安土山の発掘調査が続いている。安土山の発掘調査は1989年(平成元年)から開始され20年計画で進められている。
安土駅から少し離れた近江風土記の丘に、20年前にはなかった信長館が出来、スペイン万博に展示された復元天主(5,6階部分)が保存してある。近江風土記の丘にはこの他考古博物館もある。
町中の史跡としては、1581年にイタリア人宣教師オルガンチノが織田信長の許可を得て建てた、日本最初のキリシタン神学校セミナリヨ跡が有名である。行ってみると確かに景色の美しかったであろう雰囲気の場所であるが、今は碑のある公園になっている。
安土の町は安土城の城下町なので、城郭資料館の小母さんに古い町並みとかは残ってないのと聞いたら、古い町並みというのはあまり残っていないが、織田信長時代から続く旧家が現存していると教えてくれた。そのご子孫が今も住んでおられると聞いてびっくり!セミナリヨ跡の直ぐ近くにあり、門が横向きについていて、室町~安土桃山時代の建築様式を彷彿させる雰囲気だったが、当方は全く知識がないのでとりあえず無断でパチリと撮らせて貰った。表札もかかっていて420年後の現在もご子孫が住んでおられるらしい。
織田信長時代から続いていると聞いた旧家
また信長が相撲をとらせたことで有名な常楽寺という寺を見ようと思って、常楽寺という地域に行き地元の川で大根を洗っていた小母さんに、「常楽寺はどこですか?」と聞いたら、そういう寺はなくて、常楽寺というのは地域の名前で、その中に寺は4本(ホンと聞こえた、字が違うかも)あると言われた。信長の時代は4つの寺が一つに纏まっていたのかなと思ったが、これも知識がないので不明のままで帰った。これも現地探訪で分かったことである。
しかし織田信長が目をつけた当時の安土の地形や環境は、今の安土の地形や環境とは全く様相を異にしていたようである。安土町のホームページを見ると、「かって、この地は琵琶湖の内湖である、大中の湖、小中の湖などに接していたが、戦前戦後の食糧難に伴う食糧増産計画に基き大部分が干拓されて消滅し、現在は僅か小中の湖の一部の西の湖だけとなっている。」とあった。すなわち織田信長の頃から戦前までは、湖畔の町安土であったのが、今や干拓地の上に乗っかった昔の面影の全くない町になってしまったということらしい。
食糧増産という掛け声には当時は抗せなかったのであろうが、信長が目をつけた安土の自然条件や美しさが失われたことは間違いないようである。有明海では平成の今になっても同じような闘争が残っているが。
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