てんびんの里
近江商人の行商姿
<てんびんの里>
滋賀県神崎郡五個荘町は近江商人発祥の地として知られる。五個荘町は「てんびんの里」というニックネームをつけて、町を挙げて近江商人の屋敷や史跡保存に努めている。滋賀県に居を構えたからには一度は行って見たいと思っていた場所であったが、2003年10月26日に訪れることが出来た。金堂地区、宮荘地区、竜田地区、川並・塚本地区の主に4箇所で町並みや史跡を保存している。
このうち金堂地区には、奈良時代前期に創建された金堂寺廃寺跡や大城神社等の史跡、江戸時代初期大和郡山藩の金堂陣屋跡などが現存し、さらに江戸後期~昭和の有力近江商人だった外村家の邸宅や、戦前まで百貨店王と呼ばれた三中井一族の中江正次の邸宅がある近江商人屋敷の町並みが保存されている。「筏」三部作で昭和31年に野間文芸賞を受けた作家の外村繁はこの地で生れ、生家が外村繁文学館になっている。
外村繁の生家(外村繁文学館) あきんど大正館(旧中江正次邸)
宮荘地区には、「スキー毛糸」で知られた藤井株式会社の創業者である藤井彦四郎の邸宅を保存した、歴史民俗資料館がある。総面積8155㎡の敷地に池泉廻遊式大庭園があり、館内には近江商人が行商に用いた道中合羽、旅笠、天秤棒、矢立、腰巾着などが展示されている。
<近江商人のルーツと定義>
五個荘町のホームページには、江戸時代から活躍する近江商人のルーツを、中世に湖上経由の若狭街道通商権を持っていた五箇商人と、伊勢方面への八風・千草街道通商権を持っていた四本商人(山越商人ともいう)を兼ねていた小幡商人であるとしている。
別の著書では、戦国末期の高島商人(上記の五箇商人の一つと思われる)、江戸初期(17世紀)の八幡商人、18世紀(江戸中期)の日野商人、19世紀(江戸末期)の湖東商人を近江商人の類型としている。明治以降に人材を輩出した五個荘の近江商人は、湖東商人に入るのであろうか。
高島商人は浅井家滅亡後京都へ逃れ、大阪夏の陣で南部候の兵站を預ったことから盛岡に移った。八幡商人には、北海道移民への物資供給の商いから始まり松前藩領を基点に活動したグループと、江戸城形成の時に江戸へ出て大店を開いたグループに分かれる。日野商人は、1590年に蒲生氏郷が日野周辺の塗椀職人を城下に集めたが、日野衆は蒲生氏の松坂転封や会津若松転封に追従して移動、漆器の技術を伝えたことから、元禄頃から北関東を拠点とする日野椀や薬を売る商人として活躍した。湖東商人は幕藩体制の崩壊により彦根藩から一斉に出現し、北五個荘、愛知川、豊郷、彦根といった麻織物産地を舞台に近江商人の仲間入りをし、明治以降に活躍した商人が多い。
すなわち近江商人とは、湖東の比較的狭い地域から全国規模で外へ出て行った商人を指し、地元の商人は近江商人とはいわない。その活動範囲は、当時としては常識をはるかに越えていたものだったのだろう。
<司馬遼太郎の近江商人観>
司馬遼太郎の名作「菜の花の沖」は北前船を操る高田屋嘉兵衛の物語であるが、第3巻の中で、秋田で建造した辰悦丸を受け取りに行く場面で、近江商人のことが詳しく書かれている。以下はその略抜粋である。
・近江人は遠い時代から、出羽や北陸の貢租米を琵琶湖で扱っているうちに、商品が広域で動くのを体で知り、やがて遠隔地に物を持って行けば別趣の価値が出ると言うことを知ったのに違いない。
・豊臣期から江戸初期にかけて松前へわたってきた近江商人は、近江武士の出身である者が多かった。初期の彼らは対等に近い姿勢で松前藩の大身の者に接したであろう。「自然物を吟味して遠くへ送れば商品になるのです」と、教えたのも彼らであった。
・「私どもが御場所を請け負いましょう」と商人たちが言ったころから場所の生産が上がり多くが商品化された。「場所請負人」は「場所持ち」の武士に運上金を払う。武士は寝ていて金がとれるようになった。そういうぐあいにして、江戸初期、松前藩の経済の骨格が出来た。
すなわち司馬遼太郎は近江商人を商品経済の担い手として把握し、その後の江戸時代の米本位経済が商品経済によって崩れて行く一方の推進役と見ている。さらにこの小説では、悪名高い松前藩政によるアイヌ(採集経済の担い手)の没落や、南部藩における農民(米経済の担い手)の農奴化に怒りをもった安藤昌益の出現などにも触れており、近江商人が持ち込んだ仕組みが政治と資本の癒着を作った原因として冷静に見ている。
しかし罪もあれば功もある。近江商人の家訓、「しまつして、きばる」、「利は余沢、三方よし」、「奢れる者必久しからず」、「富を好しとし其徳を施せ」、「陰徳善事」などは、商売の道を武士道と同じように精神的に高めたわけであり、そこに近江商人の功績が認められるのではないかと感じた。
<代表的な近江商人>
西川甚五郎 山形屋 八幡商人、「ふとんの西川」の基
外村與左衛門 外与 五個荘商人、繊維商社「外与」
中井源左衛門 十一屋 日野商人、世界最高レベルの複式簿記考案
飯田新七 高島屋 高島商人、百貨店「高島屋」の基
塚本定右衛門 紅屋 五個荘商人、繊維商社ツカモト株式会社
市田弥一郎 市田 五個荘商人、京呉服市田株式会社
藤井彦四郎 スキー毛糸 五個荘商人、藤井株式会社
伊藤忠兵衛 丸紅 湖東商人、伊藤忠商事、丸紅の基
小杉五郎左衛門 小杉産業 五個荘商人
塚本幸一 ワコール 五個荘商人
<近江商人の企業>
商社・・・・・伊藤忠商事、丸紅、トーメン
百貨店・・・高島屋、大丸、西武
紡績・・・・・日清紡、東洋紡
その他・・・日本生命、ヤンマーディーゼル、西武グループ
滋賀県内には、近江八幡や湖東町にも近江商人の屋敷や町並みが保存され、資料館や郷土館として公開されている。この後のウェブログで触れた。
« 吉川英治と司馬遼太郎 | Main | 安土散策 »
The comments to this entry are closed.
Comments