オカメインコの回想
夏目漱石流にいえば吾輩はオカメインコである。名前はある。れっきとしたノーマル種のオカメインコである。ルチノー種の白オカメもいた頃は黒ピーと呼ばれていたが、白の他界後は単にピーと呼ばれるようになった。このあたりのことは我飼主がこのウェブログの第1号記事「オカメインコ」で触れた。この記事の冒頭写真を題材にして、父の友人の奥様が描いて下さった冒頭の絵が我家に飾ってある。
連れあいのゲンは6年前の2002(平成14)年に、21歳でお先にと旅立ってしまった。以来吾輩はヤモメとなり人間の父母と3人で一つ屋根に暮らしていた。ヤモメになってから5年目の昨年10月、飼主が吾輩のことをこのウェブログで「オカメインコ26歳」という駄文にしたところ、16歳も年下のごろうちゃんという若オカメと知り合った。吾輩のことを、全く老けてない、26歳になっても超童顔!恐るべしオカメインコ!と最大級の讃辞をくれたが、若ごろうには勝てないわな。
<お迎えが来た!>
吾輩は、この2008年5月4日に天寿を迎えた。4月29日に飼主の家族が一家で遊びに来て吾輩の写真を撮ってくれたが、我ながらほれぼれする勇姿で、5日後にお迎えが来るとは誰も思わなかったと思う。人間と違って我々は延命はしないから、天寿が来たらさらっと逝くのだ。
飼主が吾輩を雛の時に岐阜市金町のペットショップから引き取ったのが1981(昭和56)年夏なのだが、正確な月日までは覚えていないので、たぶん満27歳目前であるから享年27歳としておこう。27歳まで生きたというと、15-20年が平均寿命とされる我々の世界ではかなりの長寿であるらしい。人間なら後期高齢者になり、長老か翁の域であろう。
人間はオカメインコがどれくらい長生きするかにいたく関心があるらしく、オカメインコ×ギネスでGoogle検索すると吾輩も出てくるが、フクちゃんという28歳の現役も出てくる。彼や後に続くごろうちゃんの長寿を祈る!
<遺族の動静は?>
吾輩がいなくなったので遺された飼主の動静が心配されたが、来るべきものが来たと淡々としている。母がいつも、ピーは子供のときは体も小さかったので、こんなに長生きするなんて想像もしていなかったと言ってたので、天寿を全うできたことを感謝している。
父が連休明けに少し体調を崩したらしいが、休み過ぎのせいで、吾輩のせいではないと言い張っている。2005年にオーストラリアで買ってきた、例のオカメモドキのカップルが把持部になっている素焼のトレイを、連れあいのゲンと一緒の墓標にしてくれた。
買い置きしてあった餌類が一杯残ったので、庭のエゴノ木に餌入れをつけ、餌類を混合して雀(すずめ)にやることにしたらしい。特に父はこれまでずっと出勤前に早起きして籠を掃除し、餌と水を入れ替えることを日課にしていたから、今や朝の時間をもてあまし吾輩の代わりに雀の面倒をみることにしたという。オーストラリアではノーマル種のオカメインコは日本の雀みたいな存在らしいから、まあそれも良かろう。
<籠常備の餌>
吾輩はこの家では過保護鳥であったから餌類は豪勢であった。籠の中にいつも10種類くらい常備してあった。主餌は、YM PARROT BASIC FEED (中型インコ専用飼料)がお気に入りだったので、わざわざ売ってる店まで飼主が買いにいっていた。近くのスーパーで売ってるムキ餌はどうも好みに合わなかったのだ。
副餌は、ひまわりの種(晩年は小粒品)、グリーンボレー(晩年はクロレラ入の上質品)、オーツ(オート)麦、麻の実、グリッド(砂)、イカの舟(骨)、塩土、お米は欠かさず入れてあり、これに野菜(白菜、キャベツ、レタスなど)が毎日つく。春にはハコベを入れてもらい良く食べたものだ。
<オーツ麦>
この中、オーツ麦は特に連れ合いのゲンが大好きで、吾輩もつられて好きになった。オーツ麦は英語でoatsと書くが、サミュエル・ジョンソン博士というイングランド人が、1755年に編纂した世界最初の英語辞典が今もロンドンの記念館に展示してあり、わざわざoatsという単語の出ている頁が開いてあるそうだ。実はこの単語の定義がこの辞典の中で一番有名ということらしい。
そこには、「oats→サクソン語。イングランドでは馬に与えられるが、スコットランドでは人間が食べる穀物」とあるそうだ。つまりジョンソン博士はスコットランド人が大嫌いなので、皮肉った定義をしたということなのだが、これに対してスコットランド人の弟子が、「だから、イングランドでは良馬が育ち、スコットランドでは偉人が育つ」とやり返したそうな。我家では名オカメが育ったのだ。
何故こんなことを知っているかというと、父の会社時代の友人が駐在した英国が忘れられず、退職後大学院で再度英国を勉強したり再訪したりして、昨年「もっと知りたいイギリス」(藤森靖允著 ㈱ぎょうせい)という本を発行したのだが、その中に吾輩の好物、オーツ麦のことが以上のエピソードとともに書いてあったので、父が喜んで教えてくれたのだ。
<食べ物>
しかし吾輩の食べ物は籠の餌だけではない。人間の食事時に父母の肩にのって、味見や毒見をしてもらったものを色々食べたのだ。連れ合いのゲンが居たときはこのウェブログのカット写真にあるように、両肩からくれくれと騒ぎ立てるので、飼主は大変だったようだ。ゲンは毒見なしでも平気だったが、吾輩は用心深かったので必ず毒見後のものしか貰わなかった。
朝はトーストパン、ハム、ベーコン、玉子焼きの白身がお気に入りで、昼はうどん、蕎麦、ラーメンも、晩には真っ先に炊きたてのご飯をたらふく食べ、その他ほろほろの炒り卵や出し巻き、肉類(鶏肉なら共食いと言われた)など、要するに人間の食べるもの殆どを食べた。ゲンは焼きたて、ふかふかの香り高いパン、吾輩は炊き立てのコシヒカリご飯が特にお気に入りだったぜ。
果物はオレンジが大好きで、グレープフルーツ、ミカンなど柑橘類や西瓜はよく食べた。葡萄(デラウェアより巨峰が好き)や苺もまあまあ好きだが酸っぱいと吐き出してしまうので、味がわかるのかと飼主が不思議がっていた。吾輩の舌には味蕾は少ないが、口蓋や喉の基部などに味覚細胞が存在していて、結構味にはうるさいのだ。
スズメよ、心しておこぼれを頂戴せよ!
<人間とのコミュニケーション>
ゲンとカップルでいた頃は婦唱夫随であったから、吾輩はどちらかというとゲンのする通り行動していたので、人間とのコミュニケーションはそれほど気にしていなかった。ところがヤモメになってからは吾輩の気持ちを飼主に伝える必要に迫られ、随分とコミュニケーション力を磨いたものだ。
膝で居眠りする時も足を組んでもらうのだが、窓からの光が足で遮られて程よい明るさになり、頭が膝にもたれられるような位置関係に足を組め、と要求するのだ。気に入らない位置関係だと嘴(くちばし)で突っついて修正してもらうから、一緒に居ることが多い母は足がしびれるとブツブツ言っていた。吾輩が何をしたいかということが母には直ぐ分かったらしい。母にはよく手で撫でて貰った。
ところが父にはそうはいかなかった。撫でようとするものなら手に噛みついてしまうのだ。毎朝餌や水を替えてくれるので悪いなとは思うが、何故か父には警戒感が先に立つのだ。たまに油断して父に掴まると、ギャーと死にそうな声を挙げるので、同じ人間の手なのにどこが違うんや?と不思議がっていた。まあ識別能力が優れているということやな、と前向き思考をしてくれていたが、吾輩にもよく分らん!
しかし食事の時は専ら父の肩を食堂として、父の舌を食皿として色んなものを食べたので、触らせない以外は吾輩は父にもよく尽くしてやったと自負している。一度炊き立てのご飯が美味しくて勢いよく食べていたところ、勢いあまって父の舌を噛んだことがあり大騒ぎになったが、あれは悪気はなかった。
人間とのコミュニケーションのコツは、目や体の動きで人間が察してくれる術をものにすることだ。言い換えれば人間をうまく使うということである。人間に使われるのは良くない。だから餌を食べたくなったら自分で籠に入るが、人間の都合で強制的に籠に入れられると嫌なのだ。外出の時など、父はその嫌われる役目をしていたから敵愾心が湧くのかもしれない。
<コミュニケーションのテクニック>
吾輩の人間とのコミュニケーションのテクニックは色々ある。何かして欲しいときに手っ取り早いのは、人間を嘴でトントンと突っつくのだ。母には甘えていて時々優しく撫でて欲しくなるので、そういう時は母の腕を嘴で突っつくのだが、敵もさるもの、書いたり、パソコンをして忙しい時は放っておかれるのだ。
そういう時は最初は衣服の袖の上から突っつくのだが、知らん顔をされると突っつく場所を変えて、むき出しになっている腕や手の甲を突っついてやるのだ。むき出し部分は人間も感じやすいだろうと思ったからだ。母もそうなると痛いのと、根負けして、仕事の手を休めてヨシヨシと撫でてくれたもんだ。
肩にとまって髪の毛を引っ張るのも有効な意思表示のテクニックだ。朝は父が2階でパソコンに向かうので吾輩は肩や膝にとまって暫く眠気を覚ますのだが、下で母が雨戸を開ける音がすると、肩の上を右往左往して階下へ降りようと催促するのだ。知らん顔をされると髪の毛を引っ張ってやるのだ。そうすると父も仕方なしにパソコンを終了し階下へ運んでくれた。
しかし父も都合でパソコンをやめられない時もあり放っておかれる時もある。そういう時は部屋のドアの隙間から大声で母を呼ぶしかない。朝からやかましく叫ぶと近所迷惑だから、母はすぐに迎えに来てくれた。吾輩の声はよく通るので、声は大きなコミュニケーションの武器だった。しかも呼ぶ時、知らせる時、甘える時、イライラした時、気持ちが良い時、電話に出るときなど、状況に応じて声音を変えてアピールしたもんだ。
あと有力な武器は目によるアピールだ。台所で母がトーストパンにバターを塗っていた時、吾輩が肩から乗り出してジーッとバターを見つめたので、母が吾輩がバターが好きなことを察してくれたのだ。それからは父が食べるトーストのバターは必ず吾輩の味見の後ということになった。目は口ほどにモノを言うとは本当だ。
休日の夕食の時には、父の肩で炊き立てご飯を一杯食べてお腹がふくれたら、母の肩に移ってジーッと母の膝を見るのだ。これは吾輩が眠たくなってきたので、母の膝の食卓テーブルの陰になった暗い処へ移るぞ、という意思表示なので、母は直ぐ察して吾輩を膝に乗せてくれたものだ。ただし父の膝だと掴まれると厭なので、この順番に逆はないのだ。
植木鉢の土を食べたい時もそうだ。時々観葉植物の土が欲しくなって植木鉢の周りを歩いてウロウロするのだが、縁をジーッと見つめるとたいてい母が気付いて植木鉢の縁にのせてくれたのだ。自分で飛びついても良いのだが、年のせいか時々足が滑って失敗することがあったので、晩年はほとんどのせてもらった。
<電話や車の音をいち早くキャッチ>
人間は電話をコミュニケーションに使うが、この家では吾輩も一役かっていた。つまり電話がかかって来るとき、呼出音が鳴るよりも早く吾輩には電話だ!と分かりピーピー叫んで知らせるのだ。夜になって黒い布で覆って貰った籠に入って寝ていても、吾輩がピーピー鳴くと、人間は、あ、電話かもしれないと予測できたのだ。
父がAvian Information Center(飼鳥情報センター)のインコの器官などで鳥の聴覚について調べたが、ヒト程度とある。いや、そんなことはない、電話の呼出音は回線が繋がったら鳴るのだが、それ以前に接続を要求する信号や、呼出音や着信音をならせという色んな信号が飛び交っているので、オカメはそれらの信号をキャッチする能力があるに違いない、と父は言っている。
吾輩には電話の相手の声も分かるのだ。いつも吾輩を絵更紗や焼物の題材にして可愛がってくれる祖母の声は直ぐ分かるので、母が電話している時は直ぐに飛んでいって電話口に出せと要求するのだが、関係ない電話にはソッポを向いていたもんだ。
車の音についても吾輩は聴き分けたのだ。父母や家族が車で帰宅すると、家の中から一瞬早く鳴いて知らせるので、在宅している方は吾輩の叫びで、あ、帰ってきた、と分るのだ。ただ家の前を通過するだけの車や、我家のではない車の音にはわれ関せずだった。
籠の中に入れられて飼主が外出から帰ってきた時は大変であった。車が家に着く直前から吾輩の叫び声が響き渡るので、飼主はまっ先に吾輩を籠から出さなくてはならない。「お帰り!」と叫んでいるととられると大間違いで、「早く籠から出せ!」と喚いていたのだ。もちろん短時間の外出で2階の部屋の中に放れていたような時は、窓から「お帰り!早く相手してくれ」と叫んでいたのだが。
<飛べる秘密>
断っておくが吾輩は居眠りばかりしていたわけではない。晩年になっても朝な夕なに部屋の中を飛び回って鳥であることを見せつけていた。バイオリズムのなせる仕業なのか、野生の鳥と同じように朝と夕方は決まって無性に飛びたくなるのだ。この時ばかりは飛べない人間の飼主は尊敬の眼差しで見ていた。
吾輩を含めた鳥が敏捷に飛べるのは、目が良いことと、体が軽いことに負うところが大きい。鳥の視力は一般的には人間の3~4倍(鷲や鷹では25倍)といわれ、動体視力がとてつもなく良いのだ。イチローの動体視力がずば抜けて良いらしいが、これは人間界の話であって、我々はそのレベルではないのだ。
吾輩の体が軽いことは飼主が実感している。つまり肩にとまっても重みをほとんど感じないというのだ。軽さの秘密の一番は骨の構造にある。吾輩の骨は中空なのだ。しかし中空といっても中空繊維のような鞘だけの骨ではなく、中空部分を細かな無数の柱で支えている中空構造なので強度はしっかりあるのだ。
人間は鳥の飛ぶ姿から空を飛ぼうと思い、物理学や流体力学を編み出して飛行機を発明したのだから大したものだが、重たい機体を飛ばすために燃料がたくさん要ることが問題で、何とか機体を軽くしようとしている。飼主の家族が昨年末にシアトルのボーイング工場に行ったので、お土産に次世代中型旅客機のボーイング787(Dreamliner)の模型をくれたが、何となく吾輩と似ているではないか。
787は炭素繊維を多用して超軽量化したので、燃料消費率も向上し航続距離も長くなるという期待の機種だが、開発が遅れていると新聞に出ている。化石燃料からの炭酸ガス排出や地球温暖化が深刻になってきている現在、人間はもっと吾輩の飛べる構造を根本から研究しないと、飛行機が飛ばない時代がくるぞ、と警告しておこう!
<カメのつく動物は人間使いの達人?>
2008年3月14日の日経新聞夕刊のプロムナードというコラム記事を読んでいた父が、おい、ピーと同じや!と素っ頓狂な声をあげた。作家の松井今朝子さんが、10年近く飼っているリクガメのことを書いていて、実にうまく人間を使うことに感心しておられるのだが、そのリクガメの仕草が吾輩とそっくりなので驚いたそうだ。そういえば吾輩にもカメがつくのだが・・・・。
「家の間取りはしっかり把握していて、ベランダで日光浴をさせると、夕方にはサッシをガリガリ引っ掻いて中に入れるよう要求する。寒い時はストーブの前に腹ばって点火されるのをじっと待っている。お腹が空くと必ず周りをうろついてアピールする。仕事で忙しい時や何かに放っておくと、私の足を前肢や嘴で突っつく。それでも無視すると噛む。」
「エサは野菜や果物が中心で、今の季節だとイチゴを好んで食べる。ただし酸っぱいイチゴは食べないし、野菜も新鮮なのしか受けつけない。拒食ぶりが徹底している上に、気に入ったエサがでてくるまでアピールを止めないから、こちらは仕事を中断してスーパーに走るはめになり、常にカメの残りを食べさせられている気がする。」
松井さんは、よくぞここまで「人間」という環境に適応し、巧く利用するものだと感心するが、そもそもカメという動物は適応性が高いからこそ今日まで生きながらえたのかもしれない、と仰る。吾輩も適応力の優れた鳥綱(Aves)の一員であるし、飼主を通じて「人間」環境に適応した結果長寿を保ったのかもしれぬ。カメもオカメも一緒なのだ。ただ、リクガメの方は寿命が120年くらいあるそうだが。
<再びゲンのもとへ!>
ということで、今はまたゲンのもとへ帰って婦唱夫随で暮らしている。こちらの世界で仲良く暮らしている姿は残念ながら見せられないが、まあ、6年前までのゲンと一緒の頃の姿を想像して貰えば良いのだ。その頃の懐かしいとっておきの写真と、当時、祖母が吾輩とゲンを描いてくれた絵更紗を披露する。
愛の写真は今から6年前のものなので、お互いに21歳だから老いらくの愛のささやきではあるが・・・。この5ヵ月後にゲンが他界して吾輩はヤモメになったのだ。祖母が描いてくれた絵更紗は、もちろん当時の吾輩とゲンがモデルなのだが、まるで今の我々の世界の雰囲気を描いてくれているように思える。
<新しい命が生まれた!>
吾輩がいなくなって4週間弱が過ぎた5月30日に父がニュースを持ち帰った。勤めている京田辺市の職場が建屋の3階にあるのだが、ふと窓の外を見ると、たぶん燕(つばめ)と思しき雛が4羽、手すりにとまっているのを見つけたそうだ。吾輩がいなくなってしまったこの時期に、また新しい命が身近で育っていることに何となく縁を感じたという。
と、やや感傷的な発言をしていた父が、6月に入って突然体に変調をきたし、回復するのに3週間ほどかかってしまったらしい。吾輩がいなくなったショックでしょう!と周りからからかわれているらしいが、噛み付く対象であった父にも案外殊勝なところもあったのだ。
このウェブログで、飼主の駄文を読んで吾輩の存在を知って下さった皆さん、お元気で!
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